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2025年9月24日水曜日

うさぎと彼女

最近、よく思い出すことがある。

大学時代の友達で、2008年に46歳でスキルス胃がんでなくなった子がいた。

その子は中学校の先生になり、バスケ部の顧問をして英語を教えていた。

大学卒業後も年に1、2回は会ってご飯を食べたりお酒を飲んだりしている仲だった。

独身で、ずっと不倫をしていて、そのへんがちょっとモヤっとしていたんだけど、私が偉そうに何を言えるわけでもなく、性格もさっぱりしていたし、まあ気のおけない友達のひとりだったと思う。

ところが。

2007年に私がうさぎを飼い始めたのだけど、そのうさぎの写真を見て、

「かわいくなーい」

と言ったのだった。

彼女がなくなる前の年だった。

別にいいじゃん、それって彼女の感想ですよね。

だけど私は、自分でもびっくりするくらい傷ついて悲しくて、そして腹が立ったのだった。

確かに、当時人気のネザーランドのように、誰がみてもかわいいと思える仔ではなかったから、いや、だからこそ、ふびんに思ったのだと思う。

それでね。

彼女が亡くなったとき私はその件を思い出して、ちょっとだけ、

「バチがあたったんだ、ザマーミロ」

と思ってしまったのだ。

いや、もちろん彼女の死は衝撃的だったし、悲しかったのも事実なんだけど、同時にそう思ったのも事実。

自分の心の中の闇をみた。

自分がそんな人間だとは思ってなかった。

割と劣悪だなと思うなどした。

人生に起こる様々な出来事のなかで、少しずつ知らなかった自分の一面を知ることになる。

「なんだ、結構いいやつじゃん」

そんな風に思える瞬間を増やしたい。

アーメン

2024年9月2日月曜日

今を生きる

9月になった。

気分が沈んだまま、夏が終わっていきそうだ。

秋になったら上向いていくといいな。

膀胱炎は相変わらず、多分完治はしていないっぽい。

もうね、このままずっと生きていくんだなあなんて諦め始めている。

それでどうかなってもし死んでもそれは寿命だし。

「今を生きる」ってとても難しいね。

どうしても過去や未来に気持ちが向いちゃう。

瞑想を続けてしっかりと習慣づけたら、うまく生きていくことができるんだろうか。

これから歳をとって死に向かっていく間、身体は衰えていくのだから、膀胱炎ぐらいでどん底にいるようでは話にならない。

もっとしんどい病を抱えていても、淡々と毎日を暮らしている人、いっぱいいる。

そうなりたい。


2021年3月7日日曜日

さようなら、シロくん

 白文鳥を買っていた。


2015年5月生まれだった。

こんな感じで我が家へ来てくれた。


昨日、突然のさよならとなった。

6歳と10ヶ月。

とても元気な男の子だった。

まだまだ活発に家の中を飛び回って、ティッシュや紙などをかじり、フンをばら撒いたりして毎日を過ごしていた。

こんな日がずっと続くと思っていた。

病気もしない子で、体調を崩したこともほとんどなかった。

ちょっと元気がないかなと思ったことが1度だけあったけど、小鳥用のヒーターだけで過ごした夜だったので、それからは冬は夜の間中エアコンをつけていた。

それなのに。

最近覚えた遊びがあった。

洗濯バサミを入れるバッグの中に入るという遊び。

そのバッグを持ってベランダに行き、洗濯物を干すためのものだった。

3ヶ月ほど前からその中に忍び込むことがブームになっていた。

近づくとバッと飛び出して来てびっくりすることがしょっちゅうあった。

そう、近づいただけで飛び出して来てくれていたのに。

昨日は違った。

私は夕方4時ごろ、いつものようにそのバッグを持って洗濯物を取り込むためにベランダに出た。

雨が降りそうだな、早く取り込まなくっちゃ、などと考えていた。

ベランダへ出て、物干し竿の近くまで行ったところでバッグからシロが飛び出してきた。

うわっと思った時には慌てて飛び出したための動揺で、隣の部屋とのパーテーションに1回ぶつかり、でもすぐに体勢を整えて、大空へと飛び立っていった。

私の部屋はマンションの6階で、ベランダは大きな川に面している。

ベランダから見える川の景色が気にいって購入したマンションだった。

そのお気に入りの広い河原に向かって飛び立っていった。

すぐに主人と河原に探しに行った。

広大な河川と河原を目の前に絶望感とほんの少しの期待を持って、必死に探し回った。

途中で小雨も降ってきた。

土曜日だったので、曇り空にもかかわらず多くの人がいて、家族で遊んだりジョギングをしたりしてのどかに過ごしていた。

そんな中で青ざめてひきつった顔をしながら、「シロ!シロ!」と叫びながら歩き回る私の姿を何人の人が不審に思っただろうか。

1時間ぐらい探したところで捜索を中止した。

そもそも立ち入れないところがほとんどだった。

今でもシロが大空へと飛び立った姿がまぶたに焼き付いている。

死ぬまで焼き付けておくつもりだ。

こんなことを言うのも変だけど、とてもかっこよかった。

家の中でしか飛んだことのなかったシロくん。

立派に大空を旋回した。

必死で眼で追ったけど、途中で見えなくなってしまった。

あっという間だった。

あんなにかっこよく遠くまで立派に飛べたんだな。

文鳥の寿命は7歳ぐらいです、とペットショップで言われていたから、もうすぐ寿命だったのかもだけど、もちろん最後まで一緒にいてほしかった。

だけど彼はかっこいい男の子だったから「ほら、僕、こんなに飛べるんだよ、かっこいいでしょ。じゃあね」と去っていきたかったのかもしれない。

私は老いてヨボヨボの姿も見たかったけど、でも彼はそれは嫌だったのかもしれない。

飼い主として不注意だったとは思う、昼間は部屋の中でずっと放し飼いにしていたのでちょっと危ない場面も思えばたくさんあった。

でも彼はかっこいい男の子だったので、あれだめこれだめと言われるより自由でよかったと今でも思っている。

ごめんね、さぞかし心細かったよね。

寒かった? 痛かった? それともあっという間だったかな。

君がつらくない最期だったことを信じている。

今までいろんなペットたちと過ごしてきたけど、君のことが一番好きだったよ。

それでね。

私も死んだら、君が最後を迎えたであろうあの河原に遺骨をまいてもらうことにした。

君がさびしくないように、これからはできるだけ毎日散歩に行くよ。

そして私が死んだらずっと側にいれるから、少しだけ我慢してね。

今まで本当にありがとう。

君と過ごしたこの6年がなかったら、私の人生はもっとしょうもなかったよ。

ありがとう、ありがとう、本当にありがとう、そしてさようなら。

でも私も近いうちにそっちに行くよ。

そしたら永遠に一緒にいよう!

かっこいい私の小鳥、シロくんへ。