2024年9月4日水曜日

魂の修行

今年になって割と精神を病んでから、同じような悩み苦しみを抱えて生きているひとが結構いるんだなと知った。

遅いって。

人は自分事にならないと、他人の苦しさは理解できないということを思い知った。

だとすれば、この体験は私が成長するために必要だったことなんだ。

いわば魂の修行か。

なんてかっこいい名前をつけちゃおう。

そして、やっぱり何か目標を作ろう。

たとえそれがなんの意味がなくても、目標があるだけで毎日がはりあいあるものになればそれでいいやんか。

少しずつ少しずつ、薄皮を剥ぐように上向いていけると信じて進もう。

2024年9月2日月曜日

今を生きる

9月になった。

気分が沈んだまま、夏が終わっていきそうだ。

秋になったら上向いていくといいな。

膀胱炎は相変わらず、多分完治はしていないっぽい。

もうね、このままずっと生きていくんだなあなんて諦め始めている。

それでどうかなってもし死んでもそれは寿命だし。

「今を生きる」ってとても難しいね。

どうしても過去や未来に気持ちが向いちゃう。

瞑想を続けてしっかりと習慣づけたら、うまく生きていくことができるんだろうか。

これから歳をとって死に向かっていく間、身体は衰えていくのだから、膀胱炎ぐらいでどん底にいるようでは話にならない。

もっとしんどい病を抱えていても、淡々と毎日を暮らしている人、いっぱいいる。

そうなりたい。


2024年8月7日水曜日

膀胱炎

自己導尿を始めてから約4ヶ月、ずっと絶不調だ。

なにしろ、ずっと膀胱炎なのだ。

抗生剤も2週間置きに飲んでいるけど、一旦きれいになってもまた再発する。

初期の頃のような強烈な排尿通や尿の白濁はなくなったけど、ずっと頻尿で尿道の違和感が消えない。

いや、もう、すっかりメンタルをやられてしまっている。

すぐにトイレに行ける環境でないところには行きたくない。

人と会うのも、おっくうだ。

美容院や歯医者で1時間椅子に座っているのがやっと。

そのぐらいの間ならなんとかトイレに行かずに耐えられる。

慢性的な病をかかえて生活するってこんなにしんどいんだ。

何をやってもうまくいかない、打つ手なしという状況になるとマジで精神が追い詰められる。

人はここから這い上がることで強くなれるの?

そうなの?

疲れてしまった。

もっともっとつらい病気や、キツい副作用と闘っている人、たくさんいるのに、私はヘタレだなあ。

ここから立ち直って、人生を続けていく意味があまり見出せないでいる。

2024年7月16日火曜日

ソラナックス

もう30年にもなるかな。

眠剤とリーゼにはお世話になっている。

リーゼを飲むきっかけとなったのは期外収縮だった。

それ以来なんとなく手放せなくなっていて、頓服的に飲んだりしていた。

でも、ここ最近の不安感、焦燥感がつらくて、ちょっとお薬変えてみようかなと。

かかりつけの先生に相談したらソラナックスを提案された。

うん、まあ、いいかも。

だけど、眠気がすごくて、仕事や勉強に支障が出るのが困った。

薬をうまく使うのは難しいね。

リーゼに戻すか、次に行ったときに先生に相談してみよう。


ブログ、なかなか習慣化できない。

書きたいことはいっぱいあるのに。

ちょっとツィッター風に書いてみようかな。

自分に合った表現方法を模索してみる。


母は入院前、心療内科、精神科巡りが趣味みたいになっていて、お薬手帳にいろんな薬が処方されている形跡が残っていた。処方された薬に◯や×が書きこんであったり、病院ごと大きな×がついていたりする。異常な行動だけど、つらかったんだろうなとは思う。


母もそうだけど、Xなどでも見かける、長引くメンタル疾患の人って、悩むのが好きなんだと思う。森田療法の逆。作業をしたり行動することで今に集中してあれこれ考えないようにする、のではなく、作業したり忙しいとあれこれ悩む時間がなくなるからしたくないのだ。で、一つ悩みが解決しようものなら、「えーっと、次は何を悩もうか」という感じで自ら悩みを作り出していくのだ。


人のことはよくわかる。自分のこととなると視野が狭くなるね。

人生はうまくいかなくて当然。人は楽をするために生まれてくるのではない、成長するために生まれてくるのだと思い続けよう。