2022年10月13日木曜日
2022年9月11日日曜日
母が肺炎になった
精神病院に入院している母が肺炎になったとの連絡があった。
誤嚥性肺炎らしい。
母はもう、耳は全く聞こえず、両足人工股関節で車椅子の状態だ。
時折書く手紙からは、正常と異常の境目を行ったり来たりしている様子が伺える。
認知症と妄想性障害の合わせ技といったところだろうか。
先日、スーパーで買い物をして食材をエコバッグに詰めているところへ電話がかかってきた。
いつもの看護師さんから昨日から熱が39度ほどあり、誤嚥性肺炎と見られる旨の説明の後、
「主治医の〜です。外科的治療を望まれるのであれば転院となりますが、どうされますか?」
急に言われてよく意味がわからなかったが、延命治療をするかどうかということなのだろうと思い、
「そちらの病院でできる限りのことをしていただければそれでよいです」
ということを伝えた。
日頃からなんとなく想像はしていたけど、その決断の時は急に来る。
いつものスーパーの風景と電話の内容がミスマッチで変な感じだった。
「では、今から抗生剤と栄養の点滴を行います」
よろしくお願いしますと言って電話を切った。
胃ろうや中心静脈ポートなどの処置をするのなら転院して手術を受け、そこで寝たきりになるのだろう。
そんなことは母は望まない。きっと。
私ならまっぴらごめんだ。
だから。
これでよかったんだよね。
昨日、入院費用を払いに病院へ行き、看護師さんから様子を聞いた。
コロナなのでもちろん母には会えない。
病棟へ立ち入ることさえできない。
1Fのロビーで話を聞くだけだ。
もう、とろみのついたお茶もむせてしまって飲み込めないらしい。
酸素マスクは5秒も持たずに外そうとしてしまうので、拘束をするためのサインを求められた。
人は必ず歳をとり、高い確率でなんらかの病気になり、痛い思いや辛い思いを少なからずして、そして死ぬ。
それは当たり前のことなんだろう。
でも、なかなか受け入れられないものだね。
あんなに憎んだ母に対してでさえ、こんな気持ちになる。
仲のいい親子ならどんなに辛いだろうか。
母は回復するのだろうか。
また少しでも飲んだり食べたりすることができるようになるのだろうか。
2021年4月19日月曜日
母とコロナ
母が精神病院に入院してから約半年が過ぎた。
桜の季節はあっという間に終わってしまった。
私は今年は結構、桜を見た気がする。
コロナで行く場所が屋外しかなかったからかもね。
母は病院からの手紙に4回も桜のことに触れていた。
「桜が綺麗でしょうね」
「来年は一緒に桜を見たいです」
そして入居する施設を早く決めてくれとせかしてくる。
病院でテレビや新聞で一応コロナの状況は随時把握しているらしい。
それでもなお「コロナのことを言っていたらキリがありません。みんなコロナでも自分の仕事をしているのです。早く施設を探してください。」
などと書いてよこすのだ。
なんだそれ。
キリがないってなんだ。
あなたの絶え間ない訴えがキリがないわ!私だって自分の仕事はしとるわ!
などと憤慨しているのだが、母は無敵なのだ。
前の施設を勝手にとび出した挙句の保護入院なので、次に受け入れてくれる施設は限られている。
要介護認定がないと入れない、一人での外出は禁止、お金は所持できない、部屋に持ち込めるものも限られている(家事防止のため電化製品は制限)、お風呂は部屋にはなく1週間に2回(見守りつき)などと、今までのサービス付き高齢者施設のような自由はなくなった。
1つ見学に行ってみたけど、あそこに入るぐらいならいっそ・・・と思ってしまうぐらいの息苦しさだった。
他人様にお世話になるのだから、わがままは言ってられないのだろう、わかってるけど。
ちょっと絶望してしまったのは事実。
母のことより、自分の行く末を見たような気がして。
老いるって残酷だな。
生老病死って四苦だ、本当に。
母はそんなところしかもう受けてくれないことは知らない。
でも何しろもうこれで5年間で4回目の施設変わりなのだ。
そのたびにいろんな不平不満があり(主に物取られ妄想)引っ越しをしたいと泣き叫ぶ。
最後は取り合わずにいたら勝手に施設を出て、妹の家に押しかけたのだった。
どこへ行っても同じなのに、次こそはと意気込んでいる。
どこへ行っても気に入らない人がいて、その人が部屋に入って来て物を取ると言い出すのに、次はそうならないとなぜ言えるのか、問いただしてもまともに答えてはくれない。
誰々さんさえいなくなればいいと、その時々で思うらしい。
やれやれ。(村上春樹風
前の施設を私たちに解約させることに成功した母は、間髪入れずに次は決まったのかと聞いてくるのだ。
まずは今までのようにはいかない(自由に暮らすことはもうできない)ことを伝えないといけないのだが、病院は面会禁止で話す機会もない。
手紙で書くには情報が膨大すぎて、母が理解できるとは思えないので相談員の方に報告書を渡して伝えてもらうようにお願いした。
が、1週間後手紙がまた来た。
「探してくれているようですね。もう少し早くできませんか。」
え?どゆこと?
いったい何が伝わったのだろう?
もうボケてしまっていてよく理解できないのだろうか、聞いたことを覚えていられないのだろうか?
わからないことだらけだけど、もう全部コロナのせいにすることにした。
「コロナで施設側が受け入れを中止してます。見学も断られました。私にはどうすることもできません。コロナが収束するまで病院にいてください。」
頼まれた洋服と一緒に今日その旨書いた手紙を看護師さんに渡して来た。
読んでくれてるだろうか。
ドキドキ。
コロナ終息するまであと2年ぐらいはかかるかな。
憂鬱なコロナも私たち姉妹にとっては母の入院の時間稼ぎという、少しはメリットがあると思うと前向きな気分になれる。
コロナさまさまだと思おう。
母がこのまま黙って受け入れてくれるとは到底思えないが。
どんな反撃を仕掛けてくるのだろう。
不謹慎なことは承知であえて言うと、早くボケてくれないかなと思っている。
もうそれしか安住の道はない。
母は永遠に何かを訴え続けるのだ。
私たち娘にとっては無理難題を突きつけ続けるのだ。
自分を幸せにしろと。
それが娘のつとめだとでも言うように。
自分が安らかに暮らせる場所を探して彷徨い続けるのだ。
何もわからなくなったら、それなりの場所を探してあげたい。
それまではずっと病院にいてもらうしかないのだ。
多分次にどんな施設に行っても半年もたない。
これ以上、お金も時間も無駄にできない。
もううんざりなんだ。
2021年3月7日日曜日
さようなら、シロくん
白文鳥を買っていた。
2015年5月生まれだった。
こんな感じで我が家へ来てくれた。
昨日、突然のさよならとなった。
6歳と10ヶ月。
とても元気な男の子だった。
まだまだ活発に家の中を飛び回って、ティッシュや紙などをかじり、フンをばら撒いたりして毎日を過ごしていた。
こんな日がずっと続くと思っていた。
病気もしない子で、体調を崩したこともほとんどなかった。
ちょっと元気がないかなと思ったことが1度だけあったけど、小鳥用のヒーターだけで過ごした夜だったので、それからは冬は夜の間中エアコンをつけていた。
それなのに。
最近覚えた遊びがあった。
洗濯バサミを入れるバッグの中に入るという遊び。
そのバッグを持ってベランダに行き、洗濯物を干すためのものだった。
3ヶ月ほど前からその中に忍び込むことがブームになっていた。
近づくとバッと飛び出して来てびっくりすることがしょっちゅうあった。
そう、近づいただけで飛び出して来てくれていたのに。
昨日は違った。
私は夕方4時ごろ、いつものようにそのバッグを持って洗濯物を取り込むためにベランダに出た。
雨が降りそうだな、早く取り込まなくっちゃ、などと考えていた。
ベランダへ出て、物干し竿の近くまで行ったところでバッグからシロが飛び出してきた。
うわっと思った時には慌てて飛び出したための動揺で、隣の部屋とのパーテーションに1回ぶつかり、でもすぐに体勢を整えて、大空へと飛び立っていった。
私の部屋はマンションの6階で、ベランダは大きな川に面している。
ベランダから見える川の景色が気にいって購入したマンションだった。
そのお気に入りの広い河原に向かって飛び立っていった。
すぐに主人と河原に探しに行った。
広大な河川と河原を目の前に絶望感とほんの少しの期待を持って、必死に探し回った。
途中で小雨も降ってきた。
土曜日だったので、曇り空にもかかわらず多くの人がいて、家族で遊んだりジョギングをしたりしてのどかに過ごしていた。
そんな中で青ざめてひきつった顔をしながら、「シロ!シロ!」と叫びながら歩き回る私の姿を何人の人が不審に思っただろうか。
1時間ぐらい探したところで捜索を中止した。
そもそも立ち入れないところがほとんどだった。
今でもシロが大空へと飛び立った姿がまぶたに焼き付いている。
死ぬまで焼き付けておくつもりだ。
こんなことを言うのも変だけど、とてもかっこよかった。
家の中でしか飛んだことのなかったシロくん。
立派に大空を旋回した。
必死で眼で追ったけど、途中で見えなくなってしまった。
あっという間だった。
あんなにかっこよく遠くまで立派に飛べたんだな。
文鳥の寿命は7歳ぐらいです、とペットショップで言われていたから、もうすぐ寿命だったのかもだけど、もちろん最後まで一緒にいてほしかった。
だけど彼はかっこいい男の子だったから「ほら、僕、こんなに飛べるんだよ、かっこいいでしょ。じゃあね」と去っていきたかったのかもしれない。
私は老いてヨボヨボの姿も見たかったけど、でも彼はそれは嫌だったのかもしれない。
飼い主として不注意だったとは思う、昼間は部屋の中でずっと放し飼いにしていたのでちょっと危ない場面も思えばたくさんあった。
でも彼はかっこいい男の子だったので、あれだめこれだめと言われるより自由でよかったと今でも思っている。
ごめんね、さぞかし心細かったよね。
寒かった? 痛かった? それともあっという間だったかな。
君がつらくない最期だったことを信じている。
今までいろんなペットたちと過ごしてきたけど、君のことが一番好きだったよ。
それでね。
私も死んだら、君が最後を迎えたであろうあの河原に遺骨をまいてもらうことにした。
君がさびしくないように、これからはできるだけ毎日散歩に行くよ。
そして私が死んだらずっと側にいれるから、少しだけ我慢してね。
今まで本当にありがとう。
君と過ごしたこの6年がなかったら、私の人生はもっとしょうもなかったよ。
ありがとう、ありがとう、本当にありがとう、そしてさようなら。
でも私も近いうちにそっちに行くよ。
そしたら永遠に一緒にいよう!
かっこいい私の小鳥、シロくんへ。



