2023年4月28日金曜日

畑始めました。

今月から畑を借りた。

今日ははじめての苗植えをしてきたけれど、めっちゃ腰がやられた。

プチトマトときゅうり、これから育つのが楽しみ。

2畝借りていてもう一つの方は、前の方が植えていたスナップエンドウを刈り取りそこに枝豆を植える予定で、今日すませてしまおうと思ったんだけど腰が限界だった。

しゃがんで作業するのって大変なんだね。

立ち上がるのも昔のようにさっさといかないし、何より腰が痛くなる。

あと、いつも舗装された道路しか歩かないから土のガタガタの地面を歩くとつまずきそうになるとか、ちょっと台に乗って作業するのもこけそうで怖かったり、すごく老いを痛感した1日にもなった。

老化恐るべし。

これから作物をお世話していくうちにちょっとは身体も慣れてくれるかな?

いつもと違うことをやるのは、脳にも身体にもいいことなんじゃないかと思う。

でもこれからは暑さとの戦いになるな。

暑さにすこぶる弱いからちょっとブルってるわ。

とにかく借りてしまったし、1年間は続けてみる。

採れたスナップエンドウはものすごく美味しかった。

2022年10月13日木曜日

Python学習メモ13

Pythonの学習メモをアップしてみる。
チャプター13




ふーん、なるほど。
こんな感じになるのか。

2022年9月11日日曜日

母が肺炎になった

精神病院に入院している母が肺炎になったとの連絡があった。

誤嚥性肺炎らしい。

母はもう、耳は全く聞こえず、両足人工股関節で車椅子の状態だ。

時折書く手紙からは、正常と異常の境目を行ったり来たりしている様子が伺える。

認知症と妄想性障害の合わせ技といったところだろうか。

先日、スーパーで買い物をして食材をエコバッグに詰めているところへ電話がかかってきた。

いつもの看護師さんから昨日から熱が39度ほどあり、誤嚥性肺炎と見られる旨の説明の後、

「主治医の〜です。外科的治療を望まれるのであれば転院となりますが、どうされますか?」

急に言われてよく意味がわからなかったが、延命治療をするかどうかということなのだろうと思い、

「そちらの病院でできる限りのことをしていただければそれでよいです」

ということを伝えた。

日頃からなんとなく想像はしていたけど、その決断の時は急に来る。

いつものスーパーの風景と電話の内容がミスマッチで変な感じだった。

「では、今から抗生剤と栄養の点滴を行います」

よろしくお願いしますと言って電話を切った。

胃ろうや中心静脈ポートなどの処置をするのなら転院して手術を受け、そこで寝たきりになるのだろう。

そんなことは母は望まない。きっと。

私ならまっぴらごめんだ。

だから。

これでよかったんだよね。

昨日、入院費用を払いに病院へ行き、看護師さんから様子を聞いた。

コロナなのでもちろん母には会えない。

病棟へ立ち入ることさえできない。

1Fのロビーで話を聞くだけだ。

もう、とろみのついたお茶もむせてしまって飲み込めないらしい。

酸素マスクは5秒も持たずに外そうとしてしまうので、拘束をするためのサインを求められた。

人は必ず歳をとり、高い確率でなんらかの病気になり、痛い思いや辛い思いを少なからずして、そして死ぬ。

それは当たり前のことなんだろう。

でも、なかなか受け入れられないものだね。

あんなに憎んだ母に対してでさえ、こんな気持ちになる。

仲のいい親子ならどんなに辛いだろうか。


母は回復するのだろうか。

また少しでも飲んだり食べたりすることができるようになるのだろうか。

2021年4月19日月曜日

母とコロナ


母が精神病院に入院してから約半年が過ぎた。

桜の季節はあっという間に終わってしまった。

私は今年は結構、桜を見た気がする。

コロナで行く場所が屋外しかなかったからかもね。

母は病院からの手紙に4回も桜のことに触れていた。

「桜が綺麗でしょうね」

「来年は一緒に桜を見たいです」

そして入居する施設を早く決めてくれとせかしてくる。

病院でテレビや新聞で一応コロナの状況は随時把握しているらしい。

それでもなお「コロナのことを言っていたらキリがありません。みんなコロナでも自分の仕事をしているのです。早く施設を探してください。」

などと書いてよこすのだ。

なんだそれ。

キリがないってなんだ。

あなたの絶え間ない訴えがキリがないわ!私だって自分の仕事はしとるわ!

などと憤慨しているのだが、母は無敵なのだ。

前の施設を勝手にとび出した挙句の保護入院なので、次に受け入れてくれる施設は限られている。

要介護認定がないと入れない、一人での外出は禁止、お金は所持できない、部屋に持ち込めるものも限られている(家事防止のため電化製品は制限)、お風呂は部屋にはなく1週間に2回(見守りつき)などと、今までのサービス付き高齢者施設のような自由はなくなった。

1つ見学に行ってみたけど、あそこに入るぐらいならいっそ・・・と思ってしまうぐらいの息苦しさだった。

他人様にお世話になるのだから、わがままは言ってられないのだろう、わかってるけど。

ちょっと絶望してしまったのは事実。

母のことより、自分の行く末を見たような気がして。

老いるって残酷だな。

生老病死って四苦だ、本当に。

母はそんなところしかもう受けてくれないことは知らない。

でも何しろもうこれで5年間で4回目の施設変わりなのだ。

そのたびにいろんな不平不満があり(主に物取られ妄想)引っ越しをしたいと泣き叫ぶ。

最後は取り合わずにいたら勝手に施設を出て、妹の家に押しかけたのだった。

どこへ行っても同じなのに、次こそはと意気込んでいる。

どこへ行っても気に入らない人がいて、その人が部屋に入って来て物を取ると言い出すのに、次はそうならないとなぜ言えるのか、問いただしてもまともに答えてはくれない。

誰々さんさえいなくなればいいと、その時々で思うらしい。

やれやれ。(村上春樹風

前の施設を私たちに解約させることに成功した母は、間髪入れずに次は決まったのかと聞いてくるのだ。

まずは今までのようにはいかない(自由に暮らすことはもうできない)ことを伝えないといけないのだが、病院は面会禁止で話す機会もない。

手紙で書くには情報が膨大すぎて、母が理解できるとは思えないので相談員の方に報告書を渡して伝えてもらうようにお願いした。

が、1週間後手紙がまた来た。

「探してくれているようですね。もう少し早くできませんか。」

え?どゆこと?

いったい何が伝わったのだろう?

もうボケてしまっていてよく理解できないのだろうか、聞いたことを覚えていられないのだろうか?

わからないことだらけだけど、もう全部コロナのせいにすることにした。

「コロナで施設側が受け入れを中止してます。見学も断られました。私にはどうすることもできません。コロナが収束するまで病院にいてください。」

頼まれた洋服と一緒に今日その旨書いた手紙を看護師さんに渡して来た。

読んでくれてるだろうか。

ドキドキ。

コロナ終息するまであと2年ぐらいはかかるかな。

憂鬱なコロナも私たち姉妹にとっては母の入院の時間稼ぎという、少しはメリットがあると思うと前向きな気分になれる。

コロナさまさまだと思おう。

母がこのまま黙って受け入れてくれるとは到底思えないが。

どんな反撃を仕掛けてくるのだろう。

不謹慎なことは承知であえて言うと、早くボケてくれないかなと思っている。

もうそれしか安住の道はない。

母は永遠に何かを訴え続けるのだ。

私たち娘にとっては無理難題を突きつけ続けるのだ。

自分を幸せにしろと。

それが娘のつとめだとでも言うように。

自分が安らかに暮らせる場所を探して彷徨い続けるのだ。

何もわからなくなったら、それなりの場所を探してあげたい。

それまではずっと病院にいてもらうしかないのだ。

多分次にどんな施設に行っても半年もたない。

これ以上、お金も時間も無駄にできない。

もううんざりなんだ。