2020年11月25日水曜日

母の保護入院から1週間がたちました


母が精神病院に保護入院してからちょうど1週間がたちました。

その間に2回ほど病院へ行き、入院手続きや相談員の方との面談などしました。

役所から限度額認定証も発行され、提出しました。

よくわかんないけど、これでびっくりするほど多額の請求はこないってことかな?

初めての体験ばかりですが、どれもこれもすべてが勉強になります。

経験こそが自分の財産になります、そう思うとすべてのことに感謝ができます。(ような気がする…てへ

母には1度だけ面会しましたが、すごい要求のオンパレードでした。

あれが足りない、これをしておいて、わあわあと。

そして昨日からは手紙のラッシュです。

母はもう耳がほとんど聞こえないのでテレカは使えず、また携帯電話は没収されているのでメールも打てないので、便箋と封筒と切手をおいてきました。

「何か用があったら書いてね」

渡したときは手紙なんか書かないと言っていましたが、昨日から続々と3通も届きました。

内容は、持ってきてほしいもののリストです。

ほとんどの内容がモノについてです。

まあ、すごいです。

剃刀やハンガー、鏡2つ、レッグウォーマー、ベスト、電池、ズボン、リュックサック、カーディガン、その他いろいろ。

剃刀なんて絶対ダメでしょ…精神病院なのに。

そもそも入院時に「持ち物はすべて持ち帰ってください」と言われて持ち帰ったものが、再度リストアップされているし。

とにかくモノに執着する人で、全部のモノが等しく大事で、でももう管理する能力がなくなってきているので、「あれを盗られた、あれがなくなった!」と毎日大騒ぎしていたのです。

病院になんか持って行って「ない、盗られた」と騒げば、病院の職員の方が迷惑するし、それでもその中の一部はあとから持って行って受付で渡してもらえるようにお願いしたのですが「先生から許可がおりたものだけ渡します」と言われ、全て母のもとへは渡ったというわけではないようです。

鏡もアウトっぽいです。

母は、あの何もない病室のベッドで日がな一日「あれがたりない、これもたりない」と考えてリストを作っているのでしょう。

その異常なモノに対する執着こそが病気なのにね。

顔に塗るお気に入りのクリームがリストにあったので、顔がつっぱるのはかわいそうかなと思い、ただそのクリームは高価で母がとても気にいってる商品なので持って行くと執着すると思い、せめてワセリンでもと「あの、ワセリンを送りますので渡してもらえますか?」と電話で聞いたのですが、もはやちょっとクレーマー家族扱いっぽく思われているようで、(母の要求で3度ほど差し入れしようとしたので)「必要なものはこちらから連絡します」とぴしゃっと言われてしまいました。

そう、母の言うことを聞いていると、私たち家族がいつもめんどくさいやつら扱いをされるのです。

ケアマネさんからは「さくらこさんと妹さんはお母さんの言うことを間に受けすぎです。正直がいいとは限りません。そういうのを馬鹿というのです。(馬鹿正直の意味)」とざくっと言われてしまいました。

もう、母の要求はスルーすることにしました。

面会も当分行きません。

火に油を注ぐことになるからです。

そう、母の要求をかなえたり、面会して愚痴を聞いたりすることは、母の執着の燃料となるのです。

わたしたちに会うと、また要求が1つかなうと次!となり、錯乱します。

せっかく入院して、モノがない情報がない生活をして、雑念を払い妄想を止めようとしているのに、燃料をくべたらなんにもなりませんよね。

手紙は妹宛に来ているのですが、今週末には絶対に来るようにということ、手紙が届いているのかとても心配だということなどが、取り乱した様子でなぐり書きされていました。

今週末行かなかったら、自分の置かれた状況をはっきりと理解するでしょう。

「なんで来ないの!娘たちにだまされた!ひどいじゃないの!私を見捨てるのね!」

そして本領発揮しそうです。

この1週間は、入院騒ぎのショックで結構おとなしかったらしく、もともと人前では様子をする性格でもあるので、このまま何事もなかったかのように退院するのかと思うくらいでしたが、やはり本性が出てきたようです。

いや、そうでなければ入院した意味がありません。

ぜひいつもの調子で大暴れして、そこを診ていただいてしっかりと治療していただきたいです。

治療というより、鎮静という感じになるのかもしれませんが。

母は今年80歳です。

父は86歳でなくなりましたが、最後は母とそっくりでした。

いや、母が父とそっくりなのか、とにかく似た者夫婦です。

父も最後は精神病院でなくなりました。

最後の3カ月の乱心ぶりは、今でも親戚じゅうの語り草となっています。

ということは…

まあ、先のことはわかりませんね。

もう、何があっても覚悟はできています。

母はおそらくもう、病院を出て自立した生活をすることはできないでしょう。

さくらこたちはそんな母を影で支えることしかできないけれど、最後まで見届けるのが最後の親孝行です。

とりあえず、今週末を乗り切る。

来週の騒ぎを(多分)、また、報告します。

ではまたね!

2020年11月23日月曜日

うまくいかない

フリーランスで中学や高校の主に数学担当で添削や採点の仕事をしているさくらこです。

11月から新しい仕事の業務を請負い始めました。

この仕事は年に何回かの(おそらく)模試採点です。

在宅仕事なので全てメールやサイトや専用ソフトを通して採用試験、研修、そして実際の仕事へという流れになるわけですが、覚えることが大量にあり、また、慣れるまでが大変です。

まあ、これは在宅仕事に限ったことではなく、どんな仕事でも最初はマゴマゴしてしまいますよね。

えーっとアレはどこだっけ、コレはどうするんだっけ、という状態で、たくさんの仕事をいきなり引き受けました。

ええ、大変でした…

頭汗をかきながら、必死でこなしました。

失敗もしながらなんとか初期依頼をやり遂げたあと、ありがたくも追加依頼を受けました。

さくらこの大嫌いな図形の大問でしたが、断るという選択肢はありません。

「喜んで!」と引き受けて、明日が依頼日というその日に母の入院騒ぎでした。

翌日に(つまり仕事の依頼日)に入院手続きに行かなければならなくなり、朝イチで電話で当日の依頼をお断りしました。

初回からこんなことがあれば、当然評価は落ちますよね。

仕方がないこと、次からまた全力で頑張るしかない、今できることをやるしかないのだからと思ってみても、やっぱり悔しい。

それもこれも母のせいだ、と子どもっぽく母を恨みました。

そして、ここからどうなるかわからない状況がしばらく続くからと、先週末と今週末に予定していたプログラミングのレッスンもキャンセルしました。

10月から習い始めたばかりの先生です。

そりゃあ、先生から見たら、なんかドタキャンの常習犯的要素ぷんぷんですよね。

12月もちょっと忙しそうなので、1月からの再開をラインでお願いしたところ、予定が決まってからのキャンセルはご遠慮願いたい旨のお返事がきました。

はい…わかります…

さくらこも逆の立場ならそう思うでしょう、そしてそう伝えるでしょう。

もうね、あっちからもこっちからも突き上げられている感があり、苦しいです。

介護や子育てって、本当に行動に予測がつかないことばかりで、かつ、即対応を要求されることが多くて、仕事との両立が本当に大変です。

さくらこはフリーランスで、まだ自由が効く方ですが、それでもこんなにも困ります。

もっと厳密なスケジュールを求められる方たちのご苦労が思いやられます。

テレビの人や講演家とか、お医者様とか、もっともっと。

悲しかったのは、先生の「気軽にキャンセルするのはやめてほしい」という文言。

もともとさくらこは気軽にキャンセルできない大袈裟な人間なんです。

待ち合わせだって絶対に送れないし、納期も遅れたことがない。

どうしてもできない時は前もって準備してお断りを入れます、きっちりと。

できる可能性もあるのに迷惑にならないように断ってしまうくらいに。

「できません」と言うのが世の中で一番嫌いなぐらいなのに( ;  ; )。

その一言で、心折れました。

その先生は悪くないです、その文言も当然でしょう。

でも、もうさくらこはその先生とは信頼関係が築ける気がしません。

それに、次もしキャンセルするようなことになったらと思うと、怖くて約束ができなくなってしまいました。

信頼関係を築く前にキャンセルなどしてしまったことが悔しいです。

が、仕方ありません。

みんな自分の都合と社会での責任と役割を、しっかりと調整しているんです。

さくらこだけじゃない。

どうしてもうまくいかない時だってあるでしょう。

それが今です。

母を恨んでも仕方ない、コレはさくらこの人生の課題です。

母は病気になってしまったけど、人間はみんな例外なくいずれ病気になり死ぬのです。

母が悪いわけではない、もっと大変な介護をされている人は世の中にごまんといます。

だから、さくらこ、元気出していこう。

今回の先生とは縁がなかったと思おう。

よい先生に出会えたなと嬉しかったけど、前を向いていこう。

コツコツと頑張っていればまたきっといいこともあるさ。

採点の仕事もこれで評価が落ちるぐらいなら、そもそも自分に力がなかったのだと思います。

できる人なら、これからも依頼は来るはずです。

少々のトラブルではこぼれ落ちないぐらいのしっかりとした仕事をしよう。

今日はちょっと凹んでいますが、ボチボチと立ち直ります!

ではまたね!

2020年11月22日日曜日

母が精神病院に入院しました

 

いつかこうなるとはわかっていました。

というより、こうなることを望んでいました。

以前から心の病気だとはわかっていましたが、本人がどうしても精神病院には行きたらがらずに治療できずにいたのです。

「私は精神病なんかじゃないのに娘たちが精神病院へ閉じ込めようとしている!」

と盛んにケアマネさんやら、かかりつけの先生やらに訴えていたようです。

母の施設の近くに大きな精神病院があり、そこの相談室に母の現状を相談したところ、強制入院の適用になりますと了解はとっていたので、あとは母を診察に連れて行くだけだったのですが、保留になっていました。

でも2年前にお世話になっていた、私がすごく信頼しているケアマネさん(妹が嫌がって担当を変えてもらってしまっていた)に相談したら「放置しておいてください。何を言われても取り合わないでください。そのうち絶対に彼女の方から動き出します。」と言われていたので、そして私もそう思っていたので、辛抱強くその時を待っていました。

そしてついに11月17日の火曜日の夕方5時前、その時がきました。

母が施設を出たのです。

「朝から誰かにツケ狙われています。外に車がとまっています。施設の中でも部屋に入られています。もうここにはいれません。とりあえず今日は次女の家に泊まります。」と施設の方に言い残して。

すぐに施設から電話があったので、私は妹の家に向かうことにして、妹の旦那にすぐに帰ってきてもらうように連絡しました。

妹は6時にならないと帰って来れないので、それまでに母が到着するだろうと思ったからです。

5時半ごろ、妹の旦那に「駅まで迎えに来て」と電話がありました。

彼が母を迎えに行ってくれている間に、私は、夜間救急対応してくれる病院を探して事情を話して、迎え入れてもらう段取りをつけました。

その後、母と会い、しばらくはみんなで母の言い分も聞きました。

病気と認知力の低下はいっそう進んでいるようでしたし、少し取り乱してもいました。

とりあえず病院へ行こう、救急外来で診てもらおうと言うと、

「あそこの(前から話している地元の)精神病院へは絶対に行かないわよ!あそこだったら車から飛び降りるわよ!」

とわめいたので、「あそこではないよ。今日の救急の当番病院はもっと遠いところだよ。」と言うと、案外すんなり納得してくれました。

どうも総合病院だと思っていたようです。

当番病院は車で高速を使って、40分ぐらいかかる遠くの山の上にある病院でした。

母は山が好きなので、そこでなんか心に響いたようです。(そこかい!

私たちは夜の高速道路を車を走らせて、山の上にある精神病院まで母を連れて行きました。

1時間ぐらいかけて先生は母の話を聞いてくれました。

母は、施設で毎日誰かに部屋を荒らされていること、外に出ると車がいつも待ち伏せしてツケ狙われていること、娘(特に私)にも嫌がらせをされたりしていること、夜も眠れず、いつもフラフラして辛いこと、など(他にもいろいろ)を切々と訴えて、自らの狂人ぶりをいかんなく表現してくれました。

その後話を聞き終わった先生は「つらかったですね。今日はここでゆっくり眠りましょう。」と優しくおっしゃいました。

入院なんて絶対拒否するのかと思いきや、先生の誘導により、自分で同意書にサインして病棟に歩いて行ったのでびっくりしました。

プロのお仕事ってすごいですね。

あんなにスムーズに事が運ぶなんて信じられませんでした。

保護入院ということで、保護室という部屋に案内されたのですが、部屋を見て内心びっくりしました。

まるで監獄です。

トイレとベッドしかありません。

廊下側には覗き窓があり、ドアは施錠されて内側からは開きません。

1週間ぐらいは外出時はいつも付き添いが必要らしいです。

着ていた服や持っていたものは全て没収になりました。

今、私の手元にあります。

ああ、精神病院の入院ってこういう事なのですね。

でも、モノと情報に囲まれすぎて、スペックが下がってしまった脳ではもういろいろなことが処理できなくて、苦しんでいた母にとっては安らげる場所でもあったのかもしれません。

処方されたお薬の効果ももちろんあるのでしょう。

翌日の昼間、あらためて妹と入院手続きに行き、恐る恐る様子を見た時の母は、少し呆けた感じでしたが、穏やかになっていました。

さぞかし怒ってるかな、帰るっていうかなと思ったら、今の状況をすっかりと受け入れているようで、次来た時に持って来て欲しいものなどを言ったり、帰りは付き添いの方と閉鎖病棟のドアのところまで来て、私たちに手を振ってくれました。

ああ、これでよかったんだ。

これからどうなっていくのか、なんとなく予測はできています。

しっかりと進んでいくだけです。

どうなったとしても後悔はないです。

ここからの様子は、このブログで書いていこうと思っています。

自分の日記として、また、どなたかの参考になれば嬉しいです。

ではまたね!