去年の今頃、前からあった外反母趾が痛むようになり、半年間ぐらい苦しめられた。それをかばって歩いているうちに、年末からは膝裏の痛みに悩まされるようになった。この半年、よくなりかけたり、また悪化したりの繰り返しで今に至る。
まあ、いろいろ出てくるねー、歳を取るってこういうことなのね。身体がどんどん動きにくくなってくる。自分がなってみて初めてわかるわ。何事もそうだね。
そう考えると、父86歳、母81歳、彼らもまあ、よく頑張っていきたんだなあ。
当時はそうは思えなかった。もっとしっかりしてよ、なんてひどく責めたりして。
父が亡くなって6年、母が亡くなって1年経つけど、晩年の嫌な思い出がどんどん薄まって、昔の少しだけよかった頃を懐かしく思い出す。
まさかこんな気持ちになるなんて。一生恨んで生きていくんだと思ってたよ。
あの未熟な二人が、未熟なりに一生懸命に子育てしたんだなあと思うと、感謝のような気持ちがわいてくる。
で、私が生まれてきた意味は、両親を看取ることだったのかもと思う。
他に世の中に役に立てそうなことはない。
あとはお世話になったダンナを支えていくことぐらいかな。
でもできれば自分が見送られたい方だから、どこまでも自分勝手だな。
友人、知人とかも、別れがつらいから、誰よりも先に上がりたいのが本音。
もういつ死んでもいいんだけど、いいと思ってるはずなんだけど、膝裏の痛みにテンション下げたり、あと20年生きるはめになったらどうしようなんて考えたり、なんかちっとも覚悟が決まってないのを痛感もする。
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ソフィアローレン、89歳の姿をネットで見たけど、とても素敵だった。
杖をついて、介助もされている風だったけど、ちゃんと立って、表情もかっこいい。
身体が痛くないはずがないと思う。あれだけの外見を保って表に出るのは並大抵の努力ではない。
見習わんとあかんな、あの精神力を。
身体の衰えは止められない。止めようとしたり、その変化にいちいち嘆いていては、老後は苦しいものになる。
エントロピーの法則に従って崩壊へ向かう物質(身体)は受け入れて、精神(心、魂)を磨き続けていくことが、健やかに老いるコツだ。そしてそれがかっこいい。
自分なりにかっこよく生き切ることができたら、この人生をよしとしよう。