2021年3月7日日曜日

さようなら、シロくん

 白文鳥を買っていた。


2015年5月生まれだった。

こんな感じで我が家へ来てくれた。


昨日、突然のさよならとなった。

6歳と10ヶ月。

とても元気な男の子だった。

まだまだ活発に家の中を飛び回って、ティッシュや紙などをかじり、フンをばら撒いたりして毎日を過ごしていた。

こんな日がずっと続くと思っていた。

病気もしない子で、体調を崩したこともほとんどなかった。

ちょっと元気がないかなと思ったことが1度だけあったけど、小鳥用のヒーターだけで過ごした夜だったので、それからは冬は夜の間中エアコンをつけていた。

それなのに。

最近覚えた遊びがあった。

洗濯バサミを入れるバッグの中に入るという遊び。

そのバッグを持ってベランダに行き、洗濯物を干すためのものだった。

3ヶ月ほど前からその中に忍び込むことがブームになっていた。

近づくとバッと飛び出して来てびっくりすることがしょっちゅうあった。

そう、近づいただけで飛び出して来てくれていたのに。

昨日は違った。

私は夕方4時ごろ、いつものようにそのバッグを持って洗濯物を取り込むためにベランダに出た。

雨が降りそうだな、早く取り込まなくっちゃ、などと考えていた。

ベランダへ出て、物干し竿の近くまで行ったところでバッグからシロが飛び出してきた。

うわっと思った時には慌てて飛び出したための動揺で、隣の部屋とのパーテーションに1回ぶつかり、でもすぐに体勢を整えて、大空へと飛び立っていった。

私の部屋はマンションの6階で、ベランダは大きな川に面している。

ベランダから見える川の景色が気にいって購入したマンションだった。

そのお気に入りの広い河原に向かって飛び立っていった。

すぐに主人と河原に探しに行った。

広大な河川と河原を目の前に絶望感とほんの少しの期待を持って、必死に探し回った。

途中で小雨も降ってきた。

土曜日だったので、曇り空にもかかわらず多くの人がいて、家族で遊んだりジョギングをしたりしてのどかに過ごしていた。

そんな中で青ざめてひきつった顔をしながら、「シロ!シロ!」と叫びながら歩き回る私の姿を何人の人が不審に思っただろうか。

1時間ぐらい探したところで捜索を中止した。

そもそも立ち入れないところがほとんどだった。

今でもシロが大空へと飛び立った姿がまぶたに焼き付いている。

死ぬまで焼き付けておくつもりだ。

こんなことを言うのも変だけど、とてもかっこよかった。

家の中でしか飛んだことのなかったシロくん。

立派に大空を旋回した。

必死で眼で追ったけど、途中で見えなくなってしまった。

あっという間だった。

あんなにかっこよく遠くまで立派に飛べたんだな。

文鳥の寿命は7歳ぐらいです、とペットショップで言われていたから、もうすぐ寿命だったのかもだけど、もちろん最後まで一緒にいてほしかった。

だけど彼はかっこいい男の子だったから「ほら、僕、こんなに飛べるんだよ、かっこいいでしょ。じゃあね」と去っていきたかったのかもしれない。

私は老いてヨボヨボの姿も見たかったけど、でも彼はそれは嫌だったのかもしれない。

飼い主として不注意だったとは思う、昼間は部屋の中でずっと放し飼いにしていたのでちょっと危ない場面も思えばたくさんあった。

でも彼はかっこいい男の子だったので、あれだめこれだめと言われるより自由でよかったと今でも思っている。

ごめんね、さぞかし心細かったよね。

寒かった? 痛かった? それともあっという間だったかな。

君がつらくない最期だったことを信じている。

今までいろんなペットたちと過ごしてきたけど、君のことが一番好きだったよ。

それでね。

私も死んだら、君が最後を迎えたであろうあの河原に遺骨をまいてもらうことにした。

君がさびしくないように、これからはできるだけ毎日散歩に行くよ。

そして私が死んだらずっと側にいれるから、少しだけ我慢してね。

今まで本当にありがとう。

君と過ごしたこの6年がなかったら、私の人生はもっとしょうもなかったよ。

ありがとう、ありがとう、本当にありがとう、そしてさようなら。

でも私も近いうちにそっちに行くよ。

そしたら永遠に一緒にいよう!

かっこいい私の小鳥、シロくんへ。

2020年12月11日金曜日

母の入院から3週間


母の老いが目立ち始めてから、そして介護らしきことが始まってもう5年ぐらいになります。

母に対する感情はその間、大きく揺れ動きました。

同情→心配→苛立ち→焦り→怒り→悲しみ→憐れみ→共感→嫌悪→あきらめ→困惑→恐怖→憎悪→無関心→興味→殺意→嘲笑→絶望…etc

介護を通じて、自分という人間を深く知ることもできました。

今の母に対する気持ちは、もう早く・・・ほしいというものと、病院でできるだけ長生きしてほしいというものが半々です。

携帯電話も持ち帰ったので連絡は手紙ですが、なんだか支離滅裂でよくわからない感じです。

おそらく本人もよくわからないのでしょう。

母のことを書こうとすると、どうもパソコンを打つ手が止まってしまいます。

今日までも何度も書こうとしてはそっ閉じしています。

今日ももうすでにここでちょっと限界。

続きは今度にします。

これからもいろいろありまっせ、きっと。

やれやれ。

2020年11月25日水曜日

母の保護入院から1週間がたちました


母が精神病院に保護入院してからちょうど1週間がたちました。

その間に2回ほど病院へ行き、入院手続きや相談員の方との面談などしました。

役所から限度額認定証も発行され、提出しました。

よくわかんないけど、これでびっくりするほど多額の請求はこないってことかな?

初めての体験ばかりですが、どれもこれもすべてが勉強になります。

経験こそが自分の財産になります、そう思うとすべてのことに感謝ができます。(ような気がする…てへ

母には1度だけ面会しましたが、すごい要求のオンパレードでした。

あれが足りない、これをしておいて、わあわあと。

そして昨日からは手紙のラッシュです。

母はもう耳がほとんど聞こえないのでテレカは使えず、また携帯電話は没収されているのでメールも打てないので、便箋と封筒と切手をおいてきました。

「何か用があったら書いてね」

渡したときは手紙なんか書かないと言っていましたが、昨日から続々と3通も届きました。

内容は、持ってきてほしいもののリストです。

ほとんどの内容がモノについてです。

まあ、すごいです。

剃刀やハンガー、鏡2つ、レッグウォーマー、ベスト、電池、ズボン、リュックサック、カーディガン、その他いろいろ。

剃刀なんて絶対ダメでしょ…精神病院なのに。

そもそも入院時に「持ち物はすべて持ち帰ってください」と言われて持ち帰ったものが、再度リストアップされているし。

とにかくモノに執着する人で、全部のモノが等しく大事で、でももう管理する能力がなくなってきているので、「あれを盗られた、あれがなくなった!」と毎日大騒ぎしていたのです。

病院になんか持って行って「ない、盗られた」と騒げば、病院の職員の方が迷惑するし、それでもその中の一部はあとから持って行って受付で渡してもらえるようにお願いしたのですが「先生から許可がおりたものだけ渡します」と言われ、全て母のもとへは渡ったというわけではないようです。

鏡もアウトっぽいです。

母は、あの何もない病室のベッドで日がな一日「あれがたりない、これもたりない」と考えてリストを作っているのでしょう。

その異常なモノに対する執着こそが病気なのにね。

顔に塗るお気に入りのクリームがリストにあったので、顔がつっぱるのはかわいそうかなと思い、ただそのクリームは高価で母がとても気にいってる商品なので持って行くと執着すると思い、せめてワセリンでもと「あの、ワセリンを送りますので渡してもらえますか?」と電話で聞いたのですが、もはやちょっとクレーマー家族扱いっぽく思われているようで、(母の要求で3度ほど差し入れしようとしたので)「必要なものはこちらから連絡します」とぴしゃっと言われてしまいました。

そう、母の言うことを聞いていると、私たち家族がいつもめんどくさいやつら扱いをされるのです。

ケアマネさんからは「さくらこさんと妹さんはお母さんの言うことを間に受けすぎです。正直がいいとは限りません。そういうのを馬鹿というのです。(馬鹿正直の意味)」とざくっと言われてしまいました。

もう、母の要求はスルーすることにしました。

面会も当分行きません。

火に油を注ぐことになるからです。

そう、母の要求をかなえたり、面会して愚痴を聞いたりすることは、母の執着の燃料となるのです。

わたしたちに会うと、また要求が1つかなうと次!となり、錯乱します。

せっかく入院して、モノがない情報がない生活をして、雑念を払い妄想を止めようとしているのに、燃料をくべたらなんにもなりませんよね。

手紙は妹宛に来ているのですが、今週末には絶対に来るようにということ、手紙が届いているのかとても心配だということなどが、取り乱した様子でなぐり書きされていました。

今週末行かなかったら、自分の置かれた状況をはっきりと理解するでしょう。

「なんで来ないの!娘たちにだまされた!ひどいじゃないの!私を見捨てるのね!」

そして本領発揮しそうです。

この1週間は、入院騒ぎのショックで結構おとなしかったらしく、もともと人前では様子をする性格でもあるので、このまま何事もなかったかのように退院するのかと思うくらいでしたが、やはり本性が出てきたようです。

いや、そうでなければ入院した意味がありません。

ぜひいつもの調子で大暴れして、そこを診ていただいてしっかりと治療していただきたいです。

治療というより、鎮静という感じになるのかもしれませんが。

母は今年80歳です。

父は86歳でなくなりましたが、最後は母とそっくりでした。

いや、母が父とそっくりなのか、とにかく似た者夫婦です。

父も最後は精神病院でなくなりました。

最後の3カ月の乱心ぶりは、今でも親戚じゅうの語り草となっています。

ということは…

まあ、先のことはわかりませんね。

もう、何があっても覚悟はできています。

母はおそらくもう、病院を出て自立した生活をすることはできないでしょう。

さくらこたちはそんな母を影で支えることしかできないけれど、最後まで見届けるのが最後の親孝行です。

とりあえず、今週末を乗り切る。

来週の騒ぎを(多分)、また、報告します。

ではまたね!

2020年11月23日月曜日

うまくいかない

フリーランスで中学や高校の主に数学担当で添削や採点の仕事をしているさくらこです。

11月から新しい仕事の業務を請負い始めました。

この仕事は年に何回かの(おそらく)模試採点です。

在宅仕事なので全てメールやサイトや専用ソフトを通して採用試験、研修、そして実際の仕事へという流れになるわけですが、覚えることが大量にあり、また、慣れるまでが大変です。

まあ、これは在宅仕事に限ったことではなく、どんな仕事でも最初はマゴマゴしてしまいますよね。

えーっとアレはどこだっけ、コレはどうするんだっけ、という状態で、たくさんの仕事をいきなり引き受けました。

ええ、大変でした…

頭汗をかきながら、必死でこなしました。

失敗もしながらなんとか初期依頼をやり遂げたあと、ありがたくも追加依頼を受けました。

さくらこの大嫌いな図形の大問でしたが、断るという選択肢はありません。

「喜んで!」と引き受けて、明日が依頼日というその日に母の入院騒ぎでした。

翌日に(つまり仕事の依頼日)に入院手続きに行かなければならなくなり、朝イチで電話で当日の依頼をお断りしました。

初回からこんなことがあれば、当然評価は落ちますよね。

仕方がないこと、次からまた全力で頑張るしかない、今できることをやるしかないのだからと思ってみても、やっぱり悔しい。

それもこれも母のせいだ、と子どもっぽく母を恨みました。

そして、ここからどうなるかわからない状況がしばらく続くからと、先週末と今週末に予定していたプログラミングのレッスンもキャンセルしました。

10月から習い始めたばかりの先生です。

そりゃあ、先生から見たら、なんかドタキャンの常習犯的要素ぷんぷんですよね。

12月もちょっと忙しそうなので、1月からの再開をラインでお願いしたところ、予定が決まってからのキャンセルはご遠慮願いたい旨のお返事がきました。

はい…わかります…

さくらこも逆の立場ならそう思うでしょう、そしてそう伝えるでしょう。

もうね、あっちからもこっちからも突き上げられている感があり、苦しいです。

介護や子育てって、本当に行動に予測がつかないことばかりで、かつ、即対応を要求されることが多くて、仕事との両立が本当に大変です。

さくらこはフリーランスで、まだ自由が効く方ですが、それでもこんなにも困ります。

もっと厳密なスケジュールを求められる方たちのご苦労が思いやられます。

テレビの人や講演家とか、お医者様とか、もっともっと。

悲しかったのは、先生の「気軽にキャンセルするのはやめてほしい」という文言。

もともとさくらこは気軽にキャンセルできない大袈裟な人間なんです。

待ち合わせだって絶対に送れないし、納期も遅れたことがない。

どうしてもできない時は前もって準備してお断りを入れます、きっちりと。

できる可能性もあるのに迷惑にならないように断ってしまうくらいに。

「できません」と言うのが世の中で一番嫌いなぐらいなのに( ;  ; )。

その一言で、心折れました。

その先生は悪くないです、その文言も当然でしょう。

でも、もうさくらこはその先生とは信頼関係が築ける気がしません。

それに、次もしキャンセルするようなことになったらと思うと、怖くて約束ができなくなってしまいました。

信頼関係を築く前にキャンセルなどしてしまったことが悔しいです。

が、仕方ありません。

みんな自分の都合と社会での責任と役割を、しっかりと調整しているんです。

さくらこだけじゃない。

どうしてもうまくいかない時だってあるでしょう。

それが今です。

母を恨んでも仕方ない、コレはさくらこの人生の課題です。

母は病気になってしまったけど、人間はみんな例外なくいずれ病気になり死ぬのです。

母が悪いわけではない、もっと大変な介護をされている人は世の中にごまんといます。

だから、さくらこ、元気出していこう。

今回の先生とは縁がなかったと思おう。

よい先生に出会えたなと嬉しかったけど、前を向いていこう。

コツコツと頑張っていればまたきっといいこともあるさ。

採点の仕事もこれで評価が落ちるぐらいなら、そもそも自分に力がなかったのだと思います。

できる人なら、これからも依頼は来るはずです。

少々のトラブルではこぼれ落ちないぐらいのしっかりとした仕事をしよう。

今日はちょっと凹んでいますが、ボチボチと立ち直ります!

ではまたね!