2025年7月29日火曜日

大切なのは精神力

 去年の今頃、前からあった外反母趾が痛むようになり、半年間ぐらい苦しめられた。それをかばって歩いているうちに、年末からは膝裏の痛みに悩まされるようになった。この半年、よくなりかけたり、また悪化したりの繰り返しで今に至る。

まあ、いろいろ出てくるねー、歳を取るってこういうことなのね。身体がどんどん動きにくくなってくる。自分がなってみて初めてわかるわ。何事もそうだね。

そう考えると、父86歳、母81歳、彼らもまあ、よく頑張っていきたんだなあ。

当時はそうは思えなかった。もっとしっかりしてよ、なんてひどく責めたりして。

父が亡くなって6年、母が亡くなって1年経つけど、晩年の嫌な思い出がどんどん薄まって、昔の少しだけよかった頃を懐かしく思い出す。

まさかこんな気持ちになるなんて。一生恨んで生きていくんだと思ってたよ。

あの未熟な二人が、未熟なりに一生懸命に子育てしたんだなあと思うと、感謝のような気持ちがわいてくる。

で、私が生まれてきた意味は、両親を看取ることだったのかもと思う。

他に世の中に役に立てそうなことはない。

あとはお世話になったダンナを支えていくことぐらいかな。

でもできれば自分が見送られたい方だから、どこまでも自分勝手だな。

友人、知人とかも、別れがつらいから、誰よりも先に上がりたいのが本音。

もういつ死んでもいいんだけど、いいと思ってるはずなんだけど、膝裏の痛みにテンション下げたり、あと20年生きるはめになったらどうしようなんて考えたり、なんかちっとも覚悟が決まってないのを痛感もする。

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ソフィアローレン、89歳の姿をネットで見たけど、とても素敵だった。

杖をついて、介助もされている風だったけど、ちゃんと立って、表情もかっこいい。

身体が痛くないはずがないと思う。あれだけの外見を保って表に出るのは並大抵の努力ではない。

見習わんとあかんな、あの精神力を。

身体の衰えは止められない。止めようとしたり、その変化にいちいち嘆いていては、老後は苦しいものになる。

エントロピーの法則に従って崩壊へ向かう物質(身体)は受け入れて、精神(心、魂)を磨き続けていくことが、健やかに老いるコツだ。そしてそれがかっこいい。

自分なりにかっこよく生き切ることができたら、この人生をよしとしよう。


2025年5月8日木曜日

名店での食事が苦手

 情熱大陸などで、名店と言われるお店の取材を見ていて思う。苦手。前にも書いたけど、そもそも外食が苦手なんだ。お料理はもちろん美味しそうだったりするけど、手間暇かけた一皿をじっくりいただくなどということが私にはおこがましいような、そんな感じ?かなあ。きちんと身なりをととのえ、予約をとり、決められた時間に行き、行儀良く座って、大人しく食べる。どれもこれもが息苦しい。自分のペースで自分の好みですきなスタイルで食べたい。つまりは自炊がいいんだ。自炊できる範囲の料理で十分おいしい。今のキッチンでもいいんだけど、欲を言えば、炭焼きができて、厚い鉄板があればもう完璧なんだな。食材をシンプルに焼いて、シンプルな味付けで楽しむ。それが最高の食事だと思うのよ。それを、きんきんに冷えた炭酸かビールとともにいただけば、もうごきげんなのだ。ラフなスタイルでね。椎茸とか厚揚げとか、ただ焼いて食べるの、めっちゃおいしいじゃん!なんとかのなになにぞえ、じゃなくてよいのだよ、全然。

明日からまた1週間、お仕事が忙しいので今日は自由時間を満喫しよう。まずはさっきポチった「阿Q正伝」を読もうかな。魯迅をいくつか読んでみたくなったから。なぜか今、明治時代ごろのいろいろに興味を持っている。文学でも当時の空気感を味わいたい。

2025年5月6日火曜日

GW最終日

 令和7年5月6日

今日はGW最終日。雨である。午前中に今後の人生の目標を立ててみた。定期的に変わるので、定期的に立て直す。何がなんでもやり通すなどという強い気持ちはない。そんなこと決意したところで、今までの人生でやり通せたこともないしね。でも、数学とかプログラミングとか読書とかイラストとか、好きなものはそうそうは変わらないので、その辺をうろうろとしていくんだろうな。

今年やっていくことは、数学、読書(古典)、イラストにしようか。

お昼は鯛の刺身を買ってきた。ちょっと贅沢だけど、食べたい欲に負けて買ってしまった。最近、お刺身と白米が一番好物になった。余計なものはいらない、お寿司よりもこっちがいい。

夕方、ジムへ行った。今年になってから2日しか休んでいない。万博の通期パスでも買わない限り、今年の残りも毎日行くことを目標にする。万博のパス、迷ってるんだよね。近いので夏の思い出として何回も行きたい気もするんだけど、あまりにも予約システムが面倒過ぎるし、人気パビリオンは予約していても並ぶらしいので、ちょっと萎えている。そうこうしているうちに終わってしまうんだろうな、きっと。

与沢氏の配信が止まってしまった。お父さんと会えたのだろうか。どうしているのだろう。与沢氏は人たらしだね。素直でピュアでかわいくて憎めない。コメント欄やらXを見ると同じように感じている人が多くて、やはり彼は持っている人なんだなあ。だからお金も稼げるし、インフルエンサーになれる。光が強ければ闇も深いということか。それはそれで大変だけど素敵な人生じゃないかと思う。

ジムから帰って数学の勉強をしようと思っていたのに、ゲームなどしてだらだらしてしまった。明日から本気出す!(という漫画があったような

2025年5月5日月曜日

切ない

 与沢氏の動画がずっと気になっている。彼はどんなに内面が荒ぶっていても、声のトーンが優しく穏やかで、内面は上品な人なんだろうなと思う。どうしても嫌いになれない。今回の件もいろいろ悪いところはある、奥様も大変だろう、お子様たちもかわいそうだ、でも、彼が不憫でならない。私は彼に似ているところがあるんだ。だから引き寄せられてしまう。支離滅裂な話の中に共感できる気持ちがたくさんある。どうか、どうか、生き抜いてほしい。不敵な面構えの彼をもう一度見たいよ。

ところで、彼の支離滅裂な話を聞いていて、母のことがフラッシュバックしてしまった。永遠にループする話、数時間で二転三転する心、言葉や態度全てを疑ってかかる猜疑心、ああ、母は薬物中毒ではなかったけど、しっかりとした病だったんだな。原因はなんであれ、心を病むと行き着く先は似たような感じになるのだと思った。本人もつらいだろう、でも、関わる周りの人間も相当つらい。支えようと近づけば近づくほど疑われて、粘着されて、こっちの精神が壊されそうになる。そしてその人には誰も近づかなくなり、本人は孤独のどん底でさらに苦しむという地獄。最後は精神病院で亡くなったけれど、まあまあ悲惨な晩年だった。しかし仕方がない。それが彼女の人生だったんだから。私は自分にできる限りのことはした。それだけのことだ。これからもフラッシュバックしたりするだろうけど、彼女を母に持った私の、それも運命。自分だけが特別に大変なんてことはない。